2003年8月24日(日)、船橋海浜公園に行った。究極Q太郎さん、イケトモさん、ゆっぴいちゃん、わたしの4人。プールは有料なので、浅い海に入って水遊びをした。今年一番の暑い日で、海水は温まり温泉に浸かるような気分だった。水遊びをした後ビールを飲んで砂浜で寝転がっていたら、体の前面が日焼けして火傷のようになってしまった。痛い。熱い。でも心地良い。
『あかね』の店員をした翌日でほとんど寝ていなかったので、朦朧とした頭で海水や泥のなかを寝転がったり、ぱしゃぱしゃしたりしながら、metaのこと━━正確にはmetaとQのことをずっと考えていた。死んだQ、Qの死━━しかしその噂は本当だろうか、Qが死んだというあの噂は? ━━Qの生存を信じ、継続している人たちもいるというのに? (例えばPower to the Peopleやチイキツウカゾクゾクの人たちのように)━━Qが死んだ、そうと気付かれるよりずっと以前から死んでいたという噂は本当なのか━━それとも━━
生温かい海水のなかで自問自答を繰り返していると、metaの宣言文が断片的に、まるで幻聴のようにして降ってきた。metaはQの戯画でもある、Qの遊戯の側面(だけ)を誇張してみせたものでもある━━metaはQの裏返しでもある━━対抗関係は明瞭である━━死んだQ、Qの死━━その気付かれざる死の巨大な影のなかで『恐怖・地獄少女』のようにしてmetaは生まれた━━というか、地獄少女と同じように、一度棄てられて死んだ赤ん坊が雷に打たれて奇蹟のように蘇るという不吉な仕方で二度この世に生まれ出たのだ━━つまり、二度死んだと言っても良い━━生まれた、死んだ━━死んで生まれた━━生まれて死んだ━━死につつ生きている━━怪物として━━誰も望まなかった赤ん坊として━━
Qとmetaの関係は、精神分析とスキゾ分析の関係と同じだ━━Qがうまくいっていると思っている人たちには、わたしたちは何も言うことがない━━metaの野心は、Qの野心に比べ、一面では控え目であり、他面ではもっと大きなものである━━metaは西部忠助教授やQの幹部・宮地剛氏のいっていた「産業連関内包説」__Qがもろもろの産業に浸透していき、最後には労働力商品さえもQ商品になるというヴィジョンをはっきりと拒絶する━━metaの野心は多数の事業体を内包して「経済的」になるというところには全くない━━そのような幻想、そのような信仰をmetaは有害なものとして否定する━━他方、metaが積極的に目指すところのものは、もろもろの多様な領域を横断し、一般的には「経済」の枠組みには入らない何ものかの<交換>を現出させることである━━ meta という名は、「〜の間に、〜を超えて」を意味するギリシャ語だが、超越性ではなく横断性を意味しており、変態metamorphosisを示す meta でもある━━metaはもろもろの領域の間に在り、それらを横断し、変態させる / 変態するための媒体、メディアなのだ━━metaは、環境問題や「男女という制度」に関わる諸問題等々を自分が解決するなどと主張しはしないし、戦争を止める「脱戦運動」であるなどと僭称したりもしない━━metaは己れの限界をよく弁えている━━metaがすることは想像力の機能 / 関数、即ち媒介し切断することである━━多様な諸関係を組み替え、ありえない組み合わせを現出させる━━言い替えれば 奇蹟 の時を待ち望み準備する━━そのためのメディアがmetaである━━metaの数値は何も意味しない、単に「横断性度」の指標であるだけである━━
死んだQ、Qの死━━不幸にもわたしの頭は死んだQにとり憑かれていたので、滅多にない海水浴の間も、その亡霊、強迫観念との格闘を続けざるを得なかったのだ━━実際、metaは万人に開かれてはいるが、わたしの個人的な動機、Qの死という事実━━本当に? 事実? 起きたのか起きなかったのか、誰が知っていることだろう? ━━を受け止め、受け容れるためのオルジックな(=乱痴気騒ぎの、乱交の)喪の作業を、祭祀をやりたいという個人的な動機によるものでもある━━Qの死ということが、もし本当に事実なのであれば、わたしにはmetaを作る以外にその悲哀を癒す方法がなかったのだ━━わたしは死んだQのなかで自分が好きだった側面だけを残し、残りを捨象した━━<夢の島> の復興という動機をあからさまにしながら━━
生きたQさんと一緒に居ながら、生身のQさんと戯れながら、わたしの頭は死んだQの理念、思い出で一杯になっていた━━海水のなかで、泥のなかで、熱く焼けた砂浜で、わたしは 想起 と呼ばれるプラトニックな、或いはベルクソン的な過程にあった━━一つ一つの出来事、起きたことと起きなかったことの双方がわたしの脳を占領し、わたしの神経はイデアへと吸い込まれていった━━生きたQさんと死んだQと━━その間でわたしは板挟みになっていたのだ━━生きており、現在わたしの傍らにいる生きたQさんの生身の肉体と、(或る人々の噂によれば)死んでおり、わたしにとっては過去に属するQのイデアと━━多分わたしはその双方をそれぞれに独特の仕方で観照し恋していたに違いない━━生きた肉体と死んだイデアと━━現在と過去と━━その双方を━━
夕方船橋海浜公園を出て、Qさんの提案で、新木場にある「夢の島公園」に行くことになった。ゆっぴいちゃんが疲れたので、イケトモさんとゆっぴいちゃんは帰り、Qさんとわたしだけで「夢の島公園」に向かった。Qさんは前日、詩の朗読会のイベントで初めて「夢の島公園」に来て、落ち着ける場所だと気に入ったとのこと。わたしは「夢の島公園」に来るのは初めてだったが、その存在は何年も前から知っていた━━新木場ゲイ・バッシング殺人事件の現場として━━実際の暴力、死の場所として。Qさんは野宿者をテーマにした映画の撮影の関係で、この事件を目撃していた野宿者と会ったことがある、と話してくれた。夕方の薄暗い「夢の島公園」は、そんな暴力や死を予感させない静寂に満ちていた。わたしとQさんは広い公園の緑の真ん中に寝転がって、ビールを飲みながら何時間もQの話をした。生きたQさんに死んだ━━少なくともわたしにとっては━━Qの思い出を語り続けるというのは奇妙な気持ちがした━━死んだともだちの生前のお転婆な振る舞いを生きている者たちの間で話し合っているかのようだったから━━Qさんは『探究』と名乗っていた若者の話をしてくれた、彼は『あかね』界隈での最初の死者だったという━━『探究』は自殺したのだ━━
死の場所である現実の「夢の島公園」でQの(象徴的な)死の過程の具体的な詳細を語り、且つ、生身の人間であった『探究』の実際の死、新木場ゲイ・バッシング殺人事件の犠牲者の実際の死の話を何時間も、何時間もしたことはわたしにとってはひとつの 分析 或いは 想起 の効果を生んだ━━死者との交換(交感━━交歓)がここでも生じたのだ。おお友らよ、友というものはない━━ホモというものは?━━ 分析 或いは 想起 の過程が頂点に達して、或るひとつの些細な出来事を思い出したとき、わたしは突如暴力の衝動に駆られた━━ あの時 、 あの瞬間 、あの言葉を耳にしたその時、ニコニコ笑いながらあの人を殴るか、或いはビール瓶で頭に一撃を加えるかしておけば良かったのではあるまいか? ━━ 分析 或いは 想起 の過程は 認識 のみならず 演劇 、残酷な 演劇 の舞台でもあって、わたしは過去の或る時点に、その瞬間、あの瞬間に、 まるごと 身を置いたのだ、それ自体としての過去へと、純粋な思い出へと飛躍したのだ━━強い情動、情念が襲ってきた━━フロイトの患者のヒステリーの娘が述べていたように、 分析 は talking cure 、 お話し療法 でもある━━話すことを通じて感情を蘇らせ、あり得なかった出来事を演じてみせる━━誰も知らないその出来事を━━しかしわたしは薬物で眠り、暴力衝動を抑制する━━日常に帰っていく━━何もない空っぽの毎日の繰り返しに━━
2003年8月26日(月)、船橋市二和東の自宅にて、「リンダちゃん」こと攝津正記す。